かっこつきの駆けつけか?
この店長日記もブログと並行して書いており結構忙しいんであります。貧困なボキャブラリーを一生懸命に絞っておりましても日本語の美しさと多様性というものを感じるんでありまして、その美というのは行間であろうと思います。詩歌なんてその典型で、裏に秘められた意味を感じるという。
ただしそれは深みや幅、厚みと言ったものの中からそこはかとなく感じ取るんであって、薄っぺらで見え見えな表現は逆に底の浅さを露呈して醜いだけになってしまいます。
なによ「駆けつけ警護」って?
「戦闘」とか「武力」とか禍々しい言葉をうまく隠したつもりだろうけど、これほど人をコケにした表現がありますか?大切なことを正面から議論することなく小手先の誤魔化しでやり過ごす、これまでのやり方のまさに象徴ですわな。なめんじゃねえよっ!
現場の指揮権って東京には無く国連軍にあり、国連軍はルワンダ以降民間人保護を第一に戦闘も辞さずの姿勢に転換しているという。仕入れたばかりの聞きかじりで恐縮です。
つまり「駆けつけ」て戦端が切られればこっちじゃどうしようもなく「武力」で「衝突」して「戦闘」ですわ。いいのかこれ?
ただ手を上げてイマジン歌ってれば平和だなんて決して思いませんし国防はなくてはならないと思いますが、今回のことは全く意味が違うしなにより貧相な言葉で場当たり的に騙しおおせたと思ってる連中の浅はかさが我慢なりませんあたくし。
ここで一句
かこつけて 駆けつけさせて 掛け捨てる
元首相である宮澤喜一はかつて「日本というのは自前の服を作るのは下手だが、人の作った服に身体の方を合わせる事には優れている」と評したそうです。その服もほころびだらけで、そろそろ着られなくなってきてるんじゃないでしょうか?
今年も鎌田先生のとこのチョコ募金が始まりあたくしも申し込みました。
派手にドンパチやるだけじゃなく、70年間一人も殺し殺されていない国なりの国際貢献のあり方をあたしゃ民間のここに見ますけどね。