月刊三橋

つい最近になっての話ですが思うところあって月刊三橋の定期購読を始めました。音声コンテンツ中心なので運転しながらとか飲みながら聞くことができてお手軽ですが、内容が濃く難解なことも多いので気を入れて聞かないと理解できません。

しかし聞けば聞くほど50過ぎても知らないことが本当に多いのに驚かされます。ってゆ~か細かく書き出すといろいろ差しさわりもあるのでやらないけど、一面的あるいは恣意的に流される情報がいかに多いかと。

その線でいけば三橋氏の言うことだって全部が全部正しいかどうかは分からず、あくまでも自分の中における一つの指針とすべきなんでしょう。だからって自分でデータを検証するほどの脳みそも時間もないとなれば何が本当で誰の言うことが正しいのか、も~訳分かんない!

ただ本能的?な感性は三橋推し。とりあえずついて行ってみようと思います。

 

昨日聞いた地形で分かる日本史とエネルギー問題の救世主と題する、武村公太郎氏との対談はものすごく面白かったです。対談の最後にきて強く記憶に残ったのが、日本人の国民性には富士山の呪縛があるという話でした。

出生率や若年人口などピークを過ぎたことを過度に悲観するのは我々の心に富士山があるからで、それは頂上を極めた後は下るだけというあの独立峰の形故であると。

ピーターフランクル氏によればユダヤ人の考え方では、ピークを過ぎて下るのは次のピークに登るためなんだそうです。武村説では彼らの心にあるシナイ山はごつごつの連なる岩山で、出エジプトに始まる民族の苦難の歴史がそう思わせるのかもしれないと。ほんまかいな!?

 

 

 

そういや戦前の話だけど、西園寺公望が近衛文麿を評して富士山のような男と言ったって話がありました。

その心は?遠くで見る分には魅力的だけど、近寄ると石ころだらけで何も無いと。

あたしゃ高尾山みたいになりたいなあ。若い女性に人気?あはははははは ( ;∀;)