竹内まりやの「人生の扉」じゃありませんが、人生も後半に入りますと年中行事に対してあと何回迎えられるかなんて思ったりいたします。

仲でもとり分けて桜の花というのはまた別格なんでありまして、もちろん日本人の桜好きな国民性もありますがそれは春という季節の持つ出会いと別れの象徴だからなのかもしれません。

 

一昔前は酔っぱらうと軍歌歌うおじさんとか普通にいたもので、今は亡きあたくしのおじさんも「同期の桜」を歌っておりました。ご存知でしょうか?

 

 貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊(兵学校のバージョンもあり)の庭に咲く

 

 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため

 

大人が歌うのを聞いていたものでなんとなく自分より年上の人の歌だと思ってましたが、考えてみれば今の息子たちの年齢の若者たちがこんな風に散っていったわけです。

 

同じ別れでも親なんてものは子どもが目出度く社会に羽ばたくのを見送りに行ってさえ泣けるんですからね~、これが兵隊に取られて死ぬかもしれない門出に立ち会うなんつったらどんな気もぢであったのか思うだに辛いんであります。

 

だめだよ絶対、戦争なんかやっちゃ・・・

 

毎朝配達に行っている某省庁はかつてまさにこの歌の中心であった場所で、今も桜が見事です。

今朝、雨に濡れた花を見ながらそんなことを考えておりました。