十日町 後編
朝は涼しかったのにもう暑いです。
男児志を立てて郷関を出 學もし成るなくんば死すとも不帰
骨を埋む豈ただ墳墓の地のみならんや 人間至る処に青山有り
釈月照 「壁に題す」
ガキの頃覚えたものってのはなぜ忘れないんでしょうか?
墳墓の地とは先祖代々の場所だそうで、學は必ずしも学問のみでなく人生の大業でもありましょうか。
雪の田舎町から単身上京し、小なりと云え55年続く企業を成した親父の人生は月照詠むところの漢詩のごとく都に青山を見たと言えましょうか。
その締めくくりとしてふるさと十日町に正しく骨を埋めに来たわけだ。
青空で迎えた二日目は朝風呂朝酒美味しいごはんときまして、バスで松代、電車で十日町っと。
駅前ロータリーから続く商店街のごく近くに庭野の家があった旧跡?が、今は旅行代理店となって残っております。
かつては庭野の地所を踏まずには町を出られないほど栄えた本家、五代前の仲衛門は諸国漫遊の末財産を使い果たしその末裔である親父の頃には小さな本屋を営んでいたと、ウソかホントか分からない話をよく聞かされたもんで。
お式待ちつつお布施入れる袋探して歩いたりこの地方では有名な小嶋屋本店さんでへぎ蕎麦頂いたりしておりまして。
「へぎ」とはお蕎麦入れる木の容器の事で、このお店ではつなぎに海藻を使って独特の食感を生んでおります。
菩提寺である方光山来迎寺は鎌倉時代創建、時宗の古刹でありまして、一遍上人を開祖とするこの宗派は踊念仏で知られているそうです。
当代住職は若い長身のイケメンでして、考えたら一時間一本のほくほく線から指定券の新幹線乗り継ぎの為にはあんまり時間が無いとお伝えすると「ようござんす!ちゃちゃっとやっちゃいましょう!」
なんてことは言わないけど時間かかる位牌納めは責任もって後でやるので肝心なお式はきちんとってんで。
この四十九日法要で戒名いただくことにより個人は仏弟子の一端に加えられ、浄土へと昇っていくという。
美しいハイトーンボイスのお経を聴きつつ数珠をすりすりいたしますと、あたかも歴史を重ね黒ずんだ本堂の屋根を超え親父の魂が昇ってゆくのが見えるようでありました。
お墓に移動して重たい御影石の蓋をずらし納骨となりますが、お骨ってまんま入れるのね知らなかったわ~ ( ;∀;)
東京に雪が降る度嬉々として雪かきしてた親父はいちいち口には出さずとも、遺言するくらいに愛した故郷に帰れて喜んでいることでありましょう。
あたくしのお役目も無事終了、よかったよかった!
以上前編後編に渡りお付き合いいただきました今回の旅日記、これにて全巻の読み終わりでございます。