東北親子旅
東日本大震災から六年目の3.11がちょうど土曜日なので、またまた東北に行ってまいりました。お馴染みの場所を回ってご縁ができた方々とお会いしてこようというので。
だからどうしたという話でありまして、まあ単なる自己満足に過ぎないわけですが。
5年前の高2の時3.11に現地での出張バーベキューに舌の坊主を連れて行っており、新社会人としてこの春旅立つにあたりちょうど節目になろうかと誘ったところ応じてくれまして、親子二人のツアーもまた楽しからずやってんでね。正直に父ちゃん嬉しい~ ( *´艸`)
バイク以外ペーパードライバーではありますがワンデイ保険に入りまして運転もさせようという、息子の運転で東北を回るというのもこれまた嬉しい話でございまして。
先ず目指したのは陸前高田。震災後半年の十月初めて出張バーベキューにお邪魔しその後しばしばお尋ねすることになった地で、地域のランドマーク的存在である大坂ママのお宅へ。
午後からの慰霊祭を前に訪れる人も多く、忙しい中を今回も歓迎していただきました。またお酒一杯もらっちゃったりなんかして・・・ (*_*;
市役所で大勢亡くなった保険士の方のご遺族との写真をアップするよう頼まれましたのでこちらに。
すぐ近くの細根沢仮設住宅もお尋ねし、みっちゃんから坊主に今の暮らし向きなど教えていただきました。
自治会長も顔を出してくれまして集会所でいろいろお話。息子の前で過分なお褒めをいただき恥ずかしいような誇らしいような?坊主もまた必ず来ますと言ってくれてました。これまた嬉しい~。
続いては気仙沼へ。復興屋台村のたすくさんでいつもの賄丼。坊主の運転でビールという夢のような。
こちらもこの三月いっぱいで退去されるそうで移転先はまだ見つかってないとのことですが、この味は今後もずっと食べたいので早く落ち着かれることを望っております。
港の酒屋倉元さんはかさ上げに伴い市場の方に新店舗を構えておられました。連絡遅れてごめんなんて謝られたりしまして、それでもやっぱり工事が済んだら元の場所に戻りたいと言ってますね。
海が見えないと嫌なんだなあ。
そうこうするうちあの二時四十六分が近づいてまいりまして大谷海岸の道の駅に立ち寄りました。
白砂青松の海水浴場は跡形もなく失われて砂袋の防波堤が続くのみ、元駅のホームに置かれた献花台も錆びた線路を悲しげに見下ろしています。地元の方々が次々に集まってきてその時間を迎えました。
防災放送のスピーカーから黙祷を促す放送に続いて響き渡るサイレンの音が胸に迫ります。関係者でもなんでもないあたくしども親子ですら涙が出まして、身内の方々はさぞかしと思えば・・・(-""-)
それからまた南下を続けまだ十分に明るいうちにさとうみ牧場に到着しました。ヨウ、元気~?
平成の森で風呂に入り夜は持ち込んだ肉で飲めや食えや。
今回ヨウのランニングチェーンを作ろうとか坊主とカヤック漕ごうとかいろいろ考えてたんですが時間が足りず、かろうじてこの歌を現地で歌おうというプランだけ実行に移せました。
では歌のコーナーです。毎度おなじみ桑田佳祐「明日へのマーチ」
https://www.youtube.com/watch?v=rVrXtrycBMg
羊たちにもウケておりますな~ (^-^)
夕方渋谷で追いコンがあるという坊主に合わせ早めの撤収。
新さんさん商店街に寄ってみると大変な賑わいで、しかし我々はチラ見しただけで旧商店街のあった場所へ。街道筋にあったころから行ってた魚のみうらさんへ。
さんさんが無くなってお客さん減ってるんじゃないかと心配してましたが相変わらずご繫盛のようで、地元の方御用達の強みですね。社長も相変わらず意気軒昂でありました。
帰りは吾妻パーキングの会津屋さんでいつものえごまチャーシューメン。
予定通り四時に帰宅し、坊主は飲み会へあたくしは海産さばいて一人賞味会。
当日はマスコミでもあれこれ放送があったりして改めていろいろ感じた方も多かろうと思います。
とりあえずどんどん東北に行きましょう、物ができても人がいなきゃなんにもなりませんもんね。
食べて飲んで観光して楽しい東北を盛り上げましょ~!