同窓生
なんですか来週東京でもマイナス八度の日があると予報出ております。ほんとですかね?
ネットショップが軌道に乗ってからひとり担当者(発送は藤ちゃん課長)として12月はやたらと忙しく、ここ何年かは来た年賀状に対して返事を出すことしかできておりません。
しつこく言っているように還暦を迎えた去年、同級生からの賀状はみんな定年の文字。
そんな中ハンググライダー部で四年間コンビを組んでいたひろゆき君からも嘱託になったとありまして、そういやあんなにも毎週つるんで飛び歩き、飲みに行っては先輩のアパートに転がり込んでポットン便所で交代に吐いていた彼と卒業後にあったのは一回だけだったなあと。
いくら東京と栃木で離れてはいても親密さの度合いの割に不義理しておりました。
第二の人生を意識するようになったこともあり、今年は会って飲もうと携帯番号書いて返信しましたらさっそくショートメールが来て繋がることが出来ました。
N部君の引っ越しの時所沢航空公園駅を通りかかり「あれ?前に来たことある」と思ったら、この仕事に就くにあたり半年間学んだ竹岸食肉学校での同級生さかえや君のお店の前でありました。
茨城の土浦にあるこの学校は全寮制で、厳しさの希薄になった現代に逆行するスパルタ方式の下51期生である我々の時代まで続く傾いた青雲寮の一部屋ごとに詰め込まれた男六人が寝起きを共にしながら、早朝のランニングから十時の消灯まで時間に追われるカリキュラムをこなすという。
同室だった彼と泣きの涙で別れを惜しんだ卒業後、お互い結婚式に呼び合い何回かお店にも顔を出したもののこちらも親密さの度合いの割に不義理しておりました。
引っ越しの帰り道N部君に車停めといてもらいお店に入りますと大変に喜んでくれまして、30年ぶりくらいになる再会を果たしたんであります。
ブログ詠んでくれてるとのことでお茶々さんの事も知ってくれておりました。
後継者難からお店を閉じる小売り屋さんが多い中、しっかりした仕事で奥方ともども父上から受け継いだ繁盛店を切り盛りされておりました。もらったシウマイ美味かったなあ。
確か彼は八つ下?まだまだこれからでありましょう。
白黒時代の名画「舞踏会の手帳」は残日を数える黄昏にかかった老貴婦人が、華やかなりし若き日盛んに通った舞踏会で出会った人々の消息を、思い立って当時記した手帳を基に訪ね歩きそれぞれの人生悲喜こもごもを味わうというお話でありました。
なんかね、あたくしも残りの人生数えられるくらいになりそんな感じなんでしょうか?
みなさん「喜」のご様子、あたくしだけ「悲」になりませんように~