マッチョ
花に嵐の例えじゃありませんが、せっかく咲いたのにお天気に恵まれません
とはいえ昨夜は夜桜見ながら屋上で一杯やりまして
思い出してるシリーズ?です。
今この瞬間あの人のことを考えてるのって世の中で自分だけなんじゃないか?と思うことがあります。
朝の五時にセリ・ビーの事を考えてるのは間違いなくあたくしだけだと思います。
「恋するマッチョ」が日本でもヒットしたセリはブエルトリコノ人だったそうで、一度だけテレビで歌ってるのを見た時にピッチピチのタイツみたいのはいてて、実はノーパンだと司会者が騒いでいたのを覚えております。
今では普通に使われている「マッチョ」はその時輸入されたもので、この手のルートで帰化した言葉ってあたしらの世代には結構あったものです。
一方市井出身に比べるとお上の提出する言葉はまず根付かないもので、繰り返し申します「E電」だの「母さん助けて詐欺」なんてのはその最たるものかと。
その点今回の場合ですと「武漢ウィルス」VS「コビット19」が「新型コロナ」に落ち着いたのは、まあ痛み分けってところでありましょうか。
裏の意図が大きかったからなあ